20代最後に無職の平凡な人生紹介する
- 2020.12.28
- アーリーリタイア
こんにちは!よしのぶです
もうすぐ30歳なので僕のたのしい半生を振り返ってみたいとおもい、記事を書くことにしました
よしのぶという人格が如何にしてできあがったのか1から解説していきますのでもしよしのぶを作りたい人がいたら是非同じように育ててみてください
小中学生時代
「物心ついたとき」という表現が一般的に何歳くらいの時分を指すものかわかりづらいところですが、僕の一番古い記憶は小学3年生くらい
地元にはじめて「コンビニ」なる施設が誕生して、夕方6時すぎても営業してるお店があることに感動したのが人生最初に心動かされた瞬間でした
「テレビ禁止」の謎ルールが敷かれた家庭で育てられたこともあり当時の娯楽はコンビニで売られる「月刊コロコロコミック」くらい
僕の世代はちょうど「ミニ四駆」が終わって「ベイブレード」が始まった瞬間
そして大人気連載「デュエルマスターズ」でなぜか主人公の切札勝舞くんが戦うカードゲームが「マジック・ザ・ギャザリング」から漫画オリジナルの「デュエルマスターズカード」に移行した時期でした
まぁ遊戯王も初期はボードゲームで対戦してたのに漫画オリジナルの「遊戯王カード」で戦い始めた後のほうが広まりましたからね
デュエルマスターズもそのまま遊戯王を踏襲する形でデュエルマスターズカード(以下DM)を展開、結果は第1弾発売から大成功
当時の僕は小学3年生か4年生くらいで、実家のたこ焼き屋でバイトした金を溶かしながら切札勝舞くんが使う切り札カード「ボルシャック・ドラゴン」を狙ってパックを大人買いしてました
「よしのぶくん!秘密基地でDMきたよ!」
当時はLINEどころかスマホ、いや「ガラケー」すらない時代なのでもちろん連絡手段は固定電話オンリー
秘密基地の近くに住む”田中くん”に毎日在庫状況をチェックしてもらい、再入荷されたらすぐに在庫を刈り取る毎日です
ちなみに「秘密基地」というのは近所にあった駄菓子屋と雑貨屋がごっちゃになった8畳くらいのファンシーショップで、店内には香水とかチョコボールとかマジンガーZのフィギュアとかいろんな物が雑多に積んである謎のお店でした。
その中でも異彩を放っていたのが店内に2台置いてあった「メタルスラッグ」の筐体
こんなクソ狭い店になんで誰もやらないゲーム2台も置いてるのかなって心底不思議に思ってたのですが、今になって考えればそんなことよりド田舎の裏通りの目立たない立地で居抜きでもなく新装開店した雑貨屋の一人スタッフ兼店長が20歳そこらの「お姉さん」だったのが今世紀最大の疑問です。
ローカル局のテレビ取材動画とかもあって当時の「秘密基地」の一人店長な「お姉さん」を何度か見返す機会もあったのですが、何回見直しても「七沢みあ」ちゃんにそっくり
まじで見分けつかないレベルで瓜二つなため以下「秘密基地」の「お姉さん」を「みあちゃん」と呼称します。
そんなこんなで田中くんとみあちゃんの協力もあって貯金が尽きるまでDMを買った僕ですが、流石にこれだけパックを開封すればパックからレアカードがでる「法則性」に嫌でも気づくことになります
20年も前の日本の印刷技術ですから当然といえば当然なんですがキラカードとノーマルカードで印刷工場の生産ラインの差から生まれるパックの見た目上の違いがめちゃくちゃわかりやすかったんですね
そうとわかればもうノーマルパックを開封する理由なんて1mmもありません
ベリーレア・スーパーレアだけが確定したパックのみを買い占めていきます
もちろんDM以外にも遊戯王カードをみあちゃんに取り寄せてもらってサーチしてましたし、秘密基地で偶然視界に入った「チョコボール」もしっかり観察してボックスから2つだけ取り出すと両方とも「銀のエンゼル」でした。
そんなところから「秘密基地」に平日昼間からたむろしていたマダオ(マジで駄目なおっさん達)に車を手配してもらい、カードゲームの新弾発売日に県内のコンビニ・ジャスコ・玩具屋をローラー作戦でサーチする日々が始まり、
同時期に定額制がはじまったインターネットを駆使してレアカードの価値を最大化しようと試みます。
インターネット黎明期、まだ掲示板サイトが乱立しまくっていた時期
「異種トレ掲示板」なる古のコミュニティが存在していて、そこではお金をもたない小中学生達の「物々交換市」が毎日のように開かれていました
「やりおわったポケモンのソフトを遊戯王のカードと交換してください」
「遊戯王やめるのでDMのデッキが欲しいです」
こういう書き込みに対し一件ずつ交渉し、メールアドレスを交換してお互いの住所宛てにメール便でカードやゲームを贈り合う縄文時代みたいな社会コミュニティ
今であれば考えられませんね
もちろんそんな曖昧な相場観の中で運営される物々交換市なわけですから、一番”ホット”なのはDMや遊戯王の最新弾のレアカード
発売日に県内のレア在庫をすべて枯渇させた僕からしたらそこで無双して「後々価値が下がるはずの最新弾のカード」を「此処から先も価値が継続するモノ」に変える作業は特に難しいことではありません
中学にあがるころにはWindows98のオンボロPCから「ヤフオク」が繋がるようになり、カード資産を現金化
「サーチ法」を使ってわざわざマダオを動かし”みあちゃん”と”田中くん”に協力してもらって自分でレアカードを回収することを非効率と捉え、そもそも「サーチ法」をそのままヤフオクで売ってしまえばいいじゃんという結論に至ったのもこの頃
貯まったお金を使いフルプライス版の「Photoshop」と教本を購入
これが人生初の自腹で10万円の買い物した瞬間です
それと実はこの前に「WinMX」でフォトショ落とそうとして「トロイの木馬」でPCが一台死んでます
父から借りたカメラを使い「サーチ法」で引き抜いた最高レアのカードの束を撮影し、「フォトショ」の力でキラッキラに加工してインパクトのある画像をトップに「ヤフオク」で「サーチ法」を販売開始
ちなみに当時のヤフオクでも情報のみの出品は規約違反だったので速攻でアカウント消されます
が、それなら適当なカード一枚+おまけでサーチ法って扱いにして在庫処分すればいいじゃないということで当時数千枚所有していたレアカードを使って「レア確定オリジナルパック+キラ確定サーチ法」で再販
ここから数年間、「毎週」かわらず12000円づつの不労所得が生まれ続けました
自分で発売日にサーチしてレアカードをシングル販売する分がこれにプラスされる形なので実際は完全にバブルでしたね
高校時代
「テレビ禁止ルール」からも分かる通り”意識高い系”の家庭で育てられた僕は、毎朝片道1時間かけて”意識高い系”の公立高校に入れられることになります。
そしてこれは”意識高い系公立高校あるある”なんですが、毎週末は100%模試が入っているので休みなんてありません。
進研模試・駿台模試・Z会模試、如何に錬金術の天才を自負していた僕であってもこれだけ強制でスケジュール詰められるとお金儲けとかカードのことなんて考えている時間はなく・・・なんてことはなく普通に学校をサボってカードショップに入り浸ります。
そう、ここは10代の妊娠中絶率日本一の街”佐世保”
街中を米国海軍のジープが走り、夜は薬を売りつけられるから出歩いちゃいけないと注意される国内屈指の荒れた街です
土曜日に登校してお行儀よく全国模試の自己採点結果に一喜一憂するようなお利口さんじゃなくても適応できてしまいます
1年生で同じクラス、隣の席になった”ヤマグチくん”がカードオタクなのと、学校から徒歩10分の場所にカードショップが存在してしまったのがよくなかったですね
運命的に何かが噛み合ってしまった結果僕は”ヤマグチくん”から「ディメンション・ゼロ」という新しいプロ賞金制カードゲームを教えてもらい、プロゲーマー目指してカードにのめり込むことに
それでも単位をとるためだけに授業は休んでもテストだけは受けてたので2年生に上がるころには特待生にランクアップして特別進学コースに進み、国数英が200点満点に変わって更にボリュームアップした模試をうけながらも平日はカード
学校の先生方も授業全然受けないのに全国模試で一桁順位のオタクをどう扱うべきかわからず僕のほうから「授業うけても意味ないみたいなので平日は会議室の鍵を借りてもいいですか?」と提案し快く了承
ちょうどこのタイミングで”ヤマグチくん”が中退して家に引きこもってたので「第二会議室」で一人勉強してる体でヤマグチ邸に登校してカードしてました。
そして高校3年生、受験期を迎える頃には「とりあえず秋葉原から電車一本30分以内の範囲に住める国公立大にセンター利用入試で入る」ことを決定(横国、千葉大、埼玉大)
センター利用ならわざわざ2次試験うけるために現地まで行かなくていいし、なによりこの条件であれば僕が高校入学した時点でどう転んでも落ちない学力が確定してたので追加で「受験勉強」しなくてよかったことが一番ラッキー
この年は「モンハン2nd G」「CLANNAD」「とらドラ」「コードギアスR2」が全力で受験生の勉強を邪魔しにきた一年でしたが、元から受験勉強が関係なかった僕は全力でアニメみながらモンハンしてました。
ミラバルカンをソロ周回して剣士用装備を作り”火事場回避ランサー”でナルガ2頭クエストをタイムアタックするくらいやり込みましたね
2000時間やっても回避ランサーはマスターできませんでしたが
大学時代
結局2年生にあがって以降一切勉強もしなくなってしまった僕ですが、何か特別な事件が起こるでもなく普通にセンター試験で数・英・理で95%の得点率をマークして埼玉大の後期センター利用に受かります
ちなみに前期は横国ですが秋葉原で前日終電まで遊び「大宮行き」と「大船行き」の乗り間違えトラップにひっかかり無事死亡しました
でもそんなことより本当はあのとき秋葉原カーキンで僕にシャークトレード持ちかけてきたオタクからまんまと「DDアサイラント」と「デスカリバー・ナイト」を抜かれたことが悔しかったです
(※シャークトレード=釣り合いのとれないトレードで一方的に自分が得すること)
そんなこんなで無事秋葉原から京浜東北線一本で片道34分の「北浦和」周辺に住み始めた僕ですが、そうあるべきと決められたようにゲーミングPCに「モンハンフロンティア」をインストールしてモンハン廃人になるので大学には一切行きません
やがて3年生になるまま0単位で進んでしまい、結果として学部には6年通うことになります。
余談ですが北浦和に住んで秋葉原で遊ぶようになっても京浜東北線の「大宮行き」と「大船行き」トラップには度々ひっかかっています
モンハンに改悪アプデが来て当時最強だった僕の双剣装備がゴミクズになると流石にもう廃人生活は辞めようと思い街に出たものの、僕が知ってることなんてゲームとカードのことだけです
でもここ秋葉原だからね、カードショップなんてそこら中にあるじゃんってことで秋葉原の駅前にあった「カードキングダム」にいき当時始まったばかりの「ヴァイスシュヴァルツ」を買ってその日からガチ勢になることに
カードゲームのガチ勢、其れ即ち「日本一位」なわけですから
日本一位を決める「全国決勝」への出場権利を獲るためにまずは各地域で開催される「地区決勝」で準優勝以上の成績を収める必要があります
そんなわけで静岡とか名古屋とか博多とか、いろんなところを飛び回りました
この時代は1年のうち9ヶ月くらいしか自分の部屋で寝たことなかったですね
地区決勝も1000人以上の参加者の中で上2人に入らないと権利もらえないのでシーズン中は常に大会です
やっぱり大学にはいきません
高校時代の”ヤマグチくん”が地元のJKと結婚して福岡のカードショップでバイトしてたので福岡のほうのヤマグチ邸別邸に数ヶ月単位で寄生してた時期もあります
2,3年もその生活を続けると自分がカードゲーム強くないことに気づいてしまい、「これは僕が弱いのが悪いのか、それとも僕を勝たせてくれないヴァイスシュヴァルツというゲームが悪いのか」を考えるようになり
それを検証すべく「コード・オブ・ジョーカー(以下COJ)」というゲームセンターのデジタルカードゲームを始めることに決めました
ちなみにCOJのクレサ(クレジットサービス=200円3プレイみたいなオトクなサービス)をやってるゲーセンが「西浦和」と「大宮」にあって、大学からめちゃくちゃ近かったのでこの年からやっと大学にいくようになり単位は無事に達成
ただこのCOJっていうゲーム
本当にプレイヤー民度が西成あいりん地区よりバグってて、
本来であれば施設から出てきちゃいけないレベルの重症患者の魑魅魍魎が跋扈する魔境みたいなゲームでした
今でこそデジタルカードゲームっていうと「シャドバ」とかでメジャーなジャンルとして認知されていますが、当時は「ハースストーン」くらいしかタイトルが存在しないDCG(デジタルカードゲーム)黎明期だったのも要因の一つなのでしょう、シャドバでも最初期に大きな話題になった「回線切り」問題
負ける直前にアプリをタスクから切ったら試合が「なかったことになる」という謎仕様により「負けたらランク下がるので回線きる」という立ち回りが大流行しましたが、
ではその更に前の時代、COJでは何が起こっていたかというと、
「ゲーセンにあるCOJ筐体の裏から伸びたLANケーブルを”物理的に”切断することでネットワークエラーを起こし負け試合をノーゲームにする」というタスクマネージャーからアプリを落とすよりも遥かに精神的ハードルが高い禁忌技がランカーの試合で何度も発生し、
実際にLAN切断を行ったとされるランカーはTwitterからも逃げ、
事態の収束が全くつかなくなったところを善意の第三者がツイキャスで会見を開き、
「今から私がイタコになって、本人の霊を口寄せします」と言い放ちランカー本人が乗り移った形で上半身裸になりローションを一本一気飲みして乳首を根性焼きすることで一件落着となりました。
繰り返しになりますがこの「善意の第三者」と実際に回線切りしたランカーの接点は一切ありません
意味わかりましたか?僕も自分で書いた文章を読んでて全く意味がわかりません
でも残念ながらこれが真実で、これがCOJです。
大学卒業後
そんな感じでゲームで始まりゲームで終わった大学時代を経て、舞台は社会人編へと移り変わるわけですが、
こんなエキセントリックな人生歩んできた僕がまともな会社に適合できるはずもなく8ヶ月で退職しています
ブラック企業新卒編が気になる方は上の記事を御覧ください
その後2年弱東京でニートしながら「ハースストーン」等のDCGをプレイ、DCG自体は家からできるしこれわざわざ東京に住んでる意味もないなということで地元で実家の土地に自分の家を新築してそっちで引きこもってゲームすることになりました
この数年間毎日プレイし続けているのは小学生時代の「コロコロコミック」で読んでいた「マジック・ザ・ギャザリング」で、相変わらずカードから抜け出せない日々が続いています。
このブログと、それからせどりをはじめたのも去年からですが、せどりを始めた理由は”ヤマグチくん”からAmazonセラーの話を聞いたからです
焼き肉食べながら見せてもらうAmazonセラーセントラルのアプリには500万円とか600万円とかいう数字が毎月並んでいて「簡単そうだから僕もやってみよ」というふうに軽いノリで始めることに
実際やってみたら本当に簡単でしたね
このブログやアフィリエイトも同時期にはじめて、三ヶ月後には300万円程度の利益が確定してました
ちなみに高校編から度々登場する”ヤマグチくん”ですが、彼も彼でもう引き返せないところまでカード沼に浸かってしまったオタクなので今は九州を中心にカードショップを他店舗展開する普通の企業経営者で、今でも普通にカードで対戦してます。
と、言う感じで2020年
今僕がやってるのは「ポーカー」です
もうね、沼が深すぎて多分一生辞められません
この前福岡のアミューズメントカジノまでいってボコボコにやられてきたけど、もうこのゲーム”理解”したのでラスベガスいきます
2年前に買ったゲーミングPCだと最新のポーカー解析ソフトがスペック不足で動かなかったので先週新しいPCを発注しました
毎日負けてるけど、毎日が意味不明に楽しい。
治安も変わらず悪いままの”佐世保”ですが、神奈川と大阪に続きIR(海外カジノ)の誘致が決定しました
せどりとアメックスのおかげで地球4週分のANAマイルが余ってる状況なのでここから数年はラスベガスと日本を往復しながらポーカーを続けて地元にカジノが立つタイミングで「プロギャンブラー編」楽しんでいきたいと思います
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